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【LHERAUD PINEAU DES CHARENTES 1976(レロー ピノ デ シャラント)】伝説では1回蒸留していたワインを2回蒸留するようになったきっかけとなる

2022-03-11
【LHERAUD PINEAU DES CHARENTES 1976(レロー ピノ デ シャラント)】伝説では1回蒸留していたワインを2回蒸留するようになったきっかけとなる

150haのうち80haは畑である。グランド・シャンパーニュの境にあるプティット・シャンパーニュに位置。90% ユニ・ブラン、10% コロンバール(ピノ・シャラントだけに使用されている)

レロー家の歴史は、アレクサンドル・レローがラスドー村の土地を耕し始めた1680年に溯る。1795年までに葡萄栽培者である彼の息子オーグスティンがブテヴィル卿に10haの畑を譲与された。1875年にユージン・レローは、彼の妻の結婚持参金からコニャックのストック同様、農場を相続。

1881年ユージーンは、英国市場の要求を満たすために、最初のスチルを設定した。この頃彼らは、この地域の白ワインの巨大な消費者であったが、しかしながら、大量輸送は困難であると証明されたため、彼はワインをアルコールに蒸留することを決めたのであった

その後2~3年内には、秀逸なコニャックを生産を開始、レロー家はこれをルレ・ドゥ・サン=ジャック・ドゥ・コンステルに貯蔵、今日いまだに古いコニャックをそこに貯蔵しており、なかには1811年に溯るものもある。1931年には、レミー・
レローによって何ヘクタールかが更に加えられた。

蒸留が始まって1世紀以上たった後、1970年にギー・レロー氏がドメーヌと古いコニャックのストックを大量に相続、自信のブランド“コニャック・レロー”を市場で売り出した。レロー家の伝統に従って、彼はトップクラスの古く熟成したコニャックのなかでも最も高い品質のコニャックだけを生産し、全てはファミリーのドメーヌ“ラスドゥ”からきている

ボトル上の印章は、シュヴァリエ・ドゥ・ラ・クロワ・マロンとして知られる騎士を表わすものである。伝説では、彼は不貞の妻とその愛人を殺したその夜、地獄で2回焼かれる夢を見た。翌日夢に影響を受け、使用人に以前まで1回蒸留していたワインを2回蒸留するよう命じ、そのブランディーが非常に美味であったので、他の生産者達もすぐ騎士を見習い、今日全てのコニャックは2回蒸留される
素晴らしくバランスがとれ、エレガントな酸味を示す。ドライフルーツを伴う極めて長い余韻を持つ

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